清水の舞台から飛び降りた。オランダアメリカン、豪華客船に車を乗せてアテネからイスタンブールへ
 アクロポリスのパルテノン神殿で旅の余情に浸ってゆっくりして、オモニア広場の安ホテルに戻ると受付の若いギリシャ青年が各国から流れ着いてきたパッカー達の相手をしていた。
 ”ヘイ、アクロポリスは歩いてどのくらいか?地下鉄はないのか?”アメリカの若者がハッシシの匂いをプンプンさせながら大声で鼻にかかるようなアメリカ英語で聞いていた。アメリカ人ほど海外に出ると傍若無人な国民はない。自分達が一番えらい人種だと思っている。パリで出会った中年のアメリカ人ビジネスマンは、シャンゼリぜ大通りで、
 ”これはチャンゼライゼストリートか?”と聞いて来たことがあった。エルメスはハーミーズだし、チョコレートのゴディヴァはゴダイヴァ、エトワール広場はイートイレ広場となる。少しは他国の文化にも関心を払うべきである。
 ”ヤサース、ヤサース”と挨拶するとギリシャの若者が、にっこりして、”パルテノンはどうだった?”と訛りのある英語で聞いてきた。”パーフェクトだ。アテネはすばらしいよ。ところで今日の夕食だが典型的ギリシャ料理を食べたいんだが、”と聞くと、地図を広げてプラカ地区を指した。”ここにいけばタヴェルナが並んでいるからよさそうなとこに入ればいい”と教えてくれた。
 少し休んで夕方ぶらりと歩いた。教えられたプラカ地区に出かけた。地区のそばまで来るとアラブの音楽のような独特の音楽が耳に入ってきた。ギリシャ音楽でブズキと言うらしい。
 客が一杯居て、騒がしい店をみつけた。民族衣装に身を包んだ中年女がテーブルまで案内してくれた。
 ”ヤサース、何にするの”
 ”グレコ・オイノス、オイノス”ギリシャワイン、ワインとコイネー(大学で習った古代ギリシャ語)で言うと”ネーネー”はい、はいと応じてくれた。分かったらしい。女は指で黄色い色のボトルを指して手を口に持っていって美味しいよという素振りをした。
 ”ネーネー”と相槌をうった。レッチーナという酒らしい。テーストしてみると松脂の風味がした。料理にスブラキという串焼きを注文した。香辛料が利いていた。
 レッチーナは旨かった。瞬く間に一本がなくなった。三人は二本目を注文して、やっと明日からどうしようという気になった。アテネから先に道路はない。あるのは地中海だけだった。
 ”東に向かうんだから船に車を乗せられればそれでトルコに行けばいい”とゴジーがスブラキを食べながら言った。
 ”車を乗せる客船があるかな”首をひねってみたが誰も答えはない。
 ”明日朝アテネの港町ピレウスに行って聞いてみよう”気持ちよいレッチーナの酔いでどうでもよくなってきた。レッチーナはもう三本目にはいっていた。値段も聞かずに食べ飲んだ。なんてたって三人にはストックホルムのアルバイトで貯めた大金があった。
 翌朝早く眼を覚ました。松脂が効いたのか気持ちよく眼が覚めた。受付にピレウスまではどう行くのか聞くと、道が複雑だから地下鉄で行くといいと路線図を渡してくれた。三人は外に出て地下鉄の駅を探したが反対に道に迷って、”タクシーにしよう”と決めた。
 タクシーの運転手に
 ”ピレウス”と言うと、なにも言わずに車をだした。ピレウスまで地下鉄で20分から30分だとホテルで教えられていた。車は郊外を行って海辺の見えるところまできたがもう一時間以上走っていた。メーターは入っているが、相当の金額のようだ。
 ”ピレウスはまだか?”と強く英語で言った。
 ”ここさ”と運転手がぶっきらぼうに答えた。”110ドラクマ”1100円だった。大分回り道をされたらしい。ここで何か英語で文句を言ってみてもしょうがない。道が分からないのだから。タクシーに乗る前に値段交渉をするべきだったと後悔した。ゴジーが80ドラクマを渡した。30ドラクマ足らないとギリシャ語で騒いでいたが、周りに人が集まり始めると捨て台詞を残して行ってしまった。騙したことがばれると思ったのだろう。
 ピレウスの港は広かった。歩きまわって歩き回って疲れ果ててカフェリオンで休んだ。縁台のようなテーブルでコーヒーを飲んでいると赤ら顔のギリシャ人が寄ってきた。
 ”あなた日本人?日本人めずらしい。わたしギリシャ人”あっけに取られている三人を見るとどうだという顔をして、
 ”はだこて、よこはま、こうべ、うつくしい””日本だいすき”、ヨーロッパの端っこのピレウスで日本語を聞いた。
 ”あなた達なにしてる?”
 ”イスタンブールまで車のせる客船探してる”と中国人の話す日本語のようになって聞くと、
 ”くるまのせる、なに?”要するに難しい日本語は分からない。
英語でトルコまで車も一緒に乗せられる客船の会社をさがしてる”と言うと、
 ”大丈夫?お金高い!”と言う。
 ギリシャは海洋国とされる。大きな客船で車を運べる国際間船便は多数あると思っていた。事実は違っていた。確かに海運国だがギリシャ領域内の海運ビジネスはギリシ国籍の船にしか認められなかった。ミコノス、ロードス、クレタなどの地中海クルーズはギリシャ国籍の船が独占していた。このため外国国籍の船はギリシャを寄港地とするビジネスをせざるをえず、必然的に大型客船で国際間航行をしていた。
 ”オランダのかいしゃの船、車はこべる。知っている。あんないする。”
はるばるきたぜ!はだこて! 奇妙な音階で歌っていた。船員の昔を懐かしむようにブズキ音調と混じった音階だった。”泣いたてきみが、泣いたてきみが、、、
 連れられて行ったのは、オランダアメリカンシップカンパニーという会社だった。大きな船の写真が飾ってある。
 ”キャン アイ ヘルプ ユウ?”奥から背の高い紳士が出てきた。目的とイスタンブールまで行きたいのだがと言うと、
 ”ポッシブル、ウィズ 120ドル(4万3000円)、イーチ””明日朝現在寄航中のアレクザンダー号が出るという””1000人が乗る船だという。船はロードス島、ミコノス島を経由してイスタンブールまで行くという。勿論車も乗せられる。プールがありカジノもあるという。3泊4日でイスタンブールに着く。
 三人は顔を見ながら頷いた。それくらいしたっていいだろう。必死になって貯めた金だが惜しくなかった。金を払って予約した。ばら色の明日からの旅を想った。ピレウスの港の空と紺碧の海がそれを約束しているようだった。はだこて ないたてきみが、、、初老の元船員が歌っていた。昔愛した肌のきめ細かい東洋の女を懐かしむように。(続く)
 
 
 

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