訪れたのはほんの40年前だった。それから今までたった40年間でさえこれだけ歴史に翻弄された都。古代花の都といわれシルクロードの中心都市だったペシャワールpeshawar mapkhaibar
 世界の難所といわれアレクザンダーの東征をも困難にしたといわれたカイバール峠を虎口余生からがら越えてパキスタンの西北の歴史都市ペシャワールについた。いまだからこそ多くの人達がペシャワールを旅してきているが、40年前はそうではなかった。確かにペシャワールはシルクロードの東と西と結ぶ中心都市として栄えたがシルクロードは限られたノマドや商人達の往来する経路で決して一般の民がゆききするような道ではなかった筈である。何故ならこれだけの難所が続く道がそう簡単に一般の民のためであったとは考えられないからである。夢や黄金を求める輩か覇権を握る生存競争の道であったに違いない。古代の道は現代の道ではない。古代の道は闘いの道であった。超えなければならぬ命の道であった。そしてペシャワールはこの道からギリシャ、ペルシャ、オスマン、ムガール、トルコ、ソヴィエト、タリバン、アメリカと戦乱の舞台となり歴史のなかで翻弄され続けてきた。カブール川がつくる渓谷がペシャワール平原になり川が何筋かの支流を形成してオアシス都市となった。季節は夏と冬。40度の夏と10度前後の冬である。
 2001年米国ブッシュ政権はアフガン侵攻を開始した。9・11に対するテロ集団とその首領ビンラディン攻撃である。連日CNNがアフガン侵攻を報道する。カブール、カンダハール、ペシャワールは一夜にしてラスベガス並みに世界中で有名な街となった。30数年前に旅して忘れかけていた懐かしい街の名前だった。当時の平和でのんびりとしていた町並みが浮かんだが、一瞬にして闇をつたう砲声と爆破の光の映像報道の前に断ち切られた。毎年何万というアフガン難民がこのペシャワールに流入してきているという。
 日本にペシャワールの会があるのを最近知った。日本人医師が毎年16万人もの病人を診察しているという。この活動を12500人の会員がサポートしていると言う。日本人も捨てたもんではない。ホームページをみると「誰もが行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする」とあった。