三木たかしが今年去った。岩崎宏美が歌った。思秋期。曲もすばらしい、が歌詞がもっと素晴らしい。

 作詞家は誰か?

 <青春はこわれもの、青春は忘れ物、すぎてから気がつく>

 <誰もかれも通り過ぎて二度とここへこない>

 わたしの放浪のたびもーーー二度とここへ戻ってこない。

 だから書く。苦くもほろ苦く、舌にさす思い出す味と、

 甘くはないがどこかほろ甘いあの記憶とともに。

 詩を思い出す。


  足音もなく行き過ぎた
  季節をひとり見送って
  

  無口だけれどあたたかい
  心を持ったあのひとの
  別れの言葉抱きしめ 

  心ゆれる秋になって 涙もろい私
  青春はこわれもの 愛しても傷つき
  青春は忘れもの 過ぎてから気がつく



  誰も彼も通り過ぎて 二度とここへ来ない
  青春はこわれもの 愛しても傷つき
  青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

  阿久悠に決まってる。

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  大金40万円を懐にフランス・ストラスブルグに帰る。 
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 ストックホルムで約3ヶ月必死にアルバイトして40万円の大金が貯まった。5000クロナであった。<日本の大卒初任給が当時2万円程度であったから20ヶ月分ということになる。>

 物価の変遷をみてみる。コーヒー一杯の値段である。(東京銀座)昭和20年(1945年)5円、昭和25年(1950年)30円、昭和30年(1955年)50円、昭和35年(1960年)60円、昭和40年(1965年)80円、昭和45年(1970年)120円 そして現在の銀座でのコーヒー一杯は800円くらいだろう。

 1968年の値段を100円とすると実に8倍である。すぐに比較はできないが当時の40万円の金額を理解してもらえると思う。この伝でゆくと320万円がたまったことになる。この大金をもってストックホルムをでた。

 金ができたので欧州エクスプレスでストックホルムの中央駅を出発した。また来ることもあるだろうと思っていたが、その後1979年会社から派遣されて欧州に10年近く滞在したが、どういう風の吹き回しかストックホルムを訪れていない。不思議である。

 とにかく、フランス、ストラスブルグまでの経路を決めた。まずベルリンで壁を見ること、ベルリンから飛行機でフランクフルト、フランクフルトからライン河沿いに黒い森(シュヴァルツヴァルト)を経て<ストラスブルグ>に帰る経路だった。

 もうすでに初秋、

 乾いた風に落ち葉が舞う。

 湿度が極めて低い北欧の秋、肺に入る空気は軽い。汽車はスエーデンの大学町ウプサラを過ぎて一路ドイツとの国境に向かう。国境で係官がパスポートのチェックにきた。スエーデン出国の判がおされて国境の街マルメからドイツ国境の街リュベックにフェリーでバルチック海峡を渡った。

 リユベックからベルリンは近い。車窓から北ドイツの穀倉地帯がみえる。針葉樹林の多いドイツはフランスに比べると森が暗い。太陽も幾分赤い。黄色味をおびたフランスの太陽とはやはり違う。ドイツに入ると皆が破裂音のきついドイツ語を話していた。

 あたりまえのことだが、面白かった。スエーデン語はゲルマン系なのかノルマン系なのか知らないが、ダンケがタックでやはり似ていた。耳に聞こえる感じはドイツ語よりねばっこい。日本でいえば東北弁ぽかった。

 ベルリンに着いた。西ベルリンの中心部のホテルにとまった。ホテルにしっかりとまったのは欧州滞在でこれが何度目だったか、ベッドのシーツが快適だった。