青春のたびは消えない。旅に苦労が多ければ多いほど楽しさが残る。その後の小さなたびは断片的だが、意を決して始めた旅は色あせずに脳裏深くに刻まれる。

 大陸横断のたびに出ている若き人たちのブログを読む。その気持ちに今も昔もない。

 時代は便利で快適とはなった。快適で便利さは金で買うことができる、が、不便だが、そのときは苦しい旅は時間とエネルギーだけが代償である。払った代償は必ず戻ってくる。大切な時間と生きるエネルギーで支払ったものだからだ。

 ましてや、旅に邂逅した人たちとの心の交流は終生の宝となる。決して忘れることのない朱玉の魂である。


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シモーヌとフェルディナン

ダハオからストラスブルグの下宿に凱旋(財布に6000フラン)
 
南ドイツの強制収容所跡が脳裏に残ったまま、ミュンヘンを経由してライン河を渡り対岸のフランス・アルザスの県都ストラスブルグに3ヶ月振りに戻った。

石の建物で一寸東京駅に似た駅舎に着いたのはもう深夜に近かった。バスもなかったので思い切って駅から下宿のある郊外のホーエンハイムまでタクシーに乗った。タクシーは生まれて初めて乗るベンツだった。駅から五、六キロであった。

 いつも自転車で大学まで通った道をタクシーでいった。下宿の前まで来た。下宿先のヒッケル家は大工家業でもありもう寝静まっていた。玄関のベルを鳴らすと中からいつも世話になってばかりいたおかみさんのシモーヌが出てきてくれた。

 タクシーで帰ってきた下宿代も払えずにいた貧乏学生の私を見て唖然としていた。タクシー代はあるのか心配そうにしていた。ジェ・アセ・ダルジャン(金はふんだんさ)と言うと信じられないようなふりをした。下宿代は一ヶ月100フラン(8000円)だった。

 お土産にシモーヌにドイツで買ったゾリンゲンの調理道具を買っていった。シモーヌは寝たばかりの旦那のフェルディナンと息子のピエールを夜中わざわざ起こして(朝早くの仕事があるのに)、帰ってきた私のために夜食とアルザスのリースリングワインで乾杯してくれた。小さかったが心のこもった歓迎パーティだった。お土産を皆に手渡すとヴレモン!(本当か)と言いながら喜んでくれた。私のストラスブルグへの小さな凱旋だった。
 
 そのフェルディナンもシモーヌももうこの世にいない。ピエールは美容師のクリスと結婚して大学の医学部で働いている。もう50代だ。

<この世で確かなのは唯一時間が過ぎ去ってゆくことだけだ。>

 死ぬということが必ず待っている。一緒にラインの支流に小船を出して釣りをよくした大工のフェルディナン、大好きなラパン(野うさぎ)料理とアルザスの名酒リースリングの白ワイン辛口を愛したフェルディナンも屈託のないパ・ド・プロブレム(人生問題なし)が口癖のシモーヌももうこの世にはいない。

 シモーヌは街の百貨店で売り子のパートをして生活を助けていた。シモーヌが言った。北欧のアルバイトはどうだったの?私は言った。パ・ド・プロブレムさ、6000フランも貯めたよ。え!6000フラン!セパヴレ(うそでしょ)。本当さ、北欧で皿洗いと工場でダブルで働いたんだよ。そして貯めた。フェルディナンもシモーヌもあっけにとられていた。

 そして次の日から又大学へ通った。講座はもう始まっていた。先生は同じでまた帰ってきたかと言って迎えてくれた。モージェというフランス語の教科書の最後の方にまで進んでいた。先生からフランス語を教える資格を取れる試験があるが受けてみないかといわれた。挑戦した。もう一歩のところで落ちたと先生から聞いた。慰めだったのかもしれない。こうして2年目のストラスブルグの日々が過ぎていった。(続く