シュツットガルトから25000キロの旅が始まった。

 今から45年前のことだ。ドイツから日本に地べたを伝って帰るなど誰も考えなかったし、そんな事をやるなんて馬鹿の上に阿呆がついた。その後何年かして確かトヨタ自動車がスポンサーとなってシルクロード横断を果たしたことが新聞に大きく報じられたことを覚えている。

 シルクロードをその後多くの文人や冒険家が行って旅行記をものした。皆その事実とシルクロード横断のすばらしさを語って見せた。日本人があまり知らないか、誰も発見したことのないシルクロードを語った。そこにはもうシルクロードを行くという既定のプロジェクトがあった。いわばシルクロード山を挑む山岳隊の冒険記みたいだった。

 私達三人にはそんな思い上がったものはなかった。日本に帰るのに阿呆みたいだが、陸地伝いで行きたかっただけだ。始めから行き着くところまで行こうと約束していた。道があるのはそこを通った人たちがいたからだ。道が続いているのは歴史上多くの人達が歩き族けていたからだ。なにも冒険でもなんでもない。その上我々にはヒットラーが作ったといわれる国民車でアフリカ戦線の優秀軍用車のフォルクスワーゲンがあったのだから。

 結局この優秀車はパンク一回だけで25000キロを走り、1969年のカシミール戦争の救急車としてインド政府のお役にたったのだから。

 出発にあたり三人で約束をした。<一つ、いけるところまで行って自由に互いの行く先を縛らない。二つ、喧嘩になったら三人目はどちらにも味方しないこと。三つ、運転中は必ず助手席が起きていること。>単純だがこの三つの約束のお陰で死なずにインド、カルカッタに到着できた。

 <運命の神様は何回も我々を死の淵からよびもどした。>

 確かに危険があった。神様は旅の途中で君たちはまだ死ねないと言っていたように素直に今思う。アフガニスタンでの夜中の山賊たち、カイバール峠でのきりたつ崖からの落下寸前の奇跡。トルコの洗濯板のような道路での一回転。運命の神様はいつも三人側にいた。旅はもちろん危険であった。そこで人知れず朽ち果て行方不明になっていたかもしれない。

 <しかし旅とはいつもそのようなものではなかったか。>
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 芭蕉がみちのくの旅にでたのも、「旅に病んで夢は枯野のかけめぐる」、イタリア ジェノバの人マルコポーロも、止むにやまれず旅に出たはずだ。江戸時代、おろしや国酔夢譚の大黒屋光太夫は漁船漂流してロシヤに捕らえられ、見てはいけないものを見て、はりつけになって死んだ。

 誰も肩に力をいれて旅に出るぞと出たのではない。旅になったのだ。

 話をもどす。シュツットガルトを出発して一路オーストリアのインスブルックを目指した。ドイツのアウトバーンは快適である。その上無料であった。どこかの国のように新幹線と高速通行料が変わらないなどという馬鹿な国はない。

 120キロでインスブルックまでとばした。先を急ぐので街をみている暇はない。ここがインスブルックという街かと高速からの遠景ですました。さてこれからだ。

<ヨーロッパ、アルプス越えが待っている。>

ヨーロッパ、アルプスはフランス語でアルク・アルパンといわれているようにアーチ状にフランスのコルシカ島から始まってユーゴにまでのびてイタリアの頭にかぶっている帽子のようなものだ。歴史上の重大事となった

<ナポレオンのアルプス越え、>

<象を使ったといわれるハンニバルのセントバーナード峠越え>

などはアルプス越えの困難さを今につたえている。パリのルーブル美術館にアルプスを越えるナポレオンを描いたダビッドの絵がある。ナポレオンはサンベルナー峠を越えてイタリアに攻め入った。困難な峠で過去多くの人間が遭難した。その時遭難者を助けた名犬種がサンベルナー犬である。

<ブレンナー峠>

 我々はインスブルックの南西のアグザム、マッテルを迂回してブレンナー峠を目指した。旧道18号線はヨーロッパ橋を通過してシュツバイタルの分岐を過ぎシル河の作るウィップタル渓谷を登っていく。街道の町は古くからの宿場町である。ブレンナー峠まで200メートル、高速道路の導入路を過ぎると国境の検問所がある。オーストリアとイタリアの官吏がいる。このブレンナ峠を旅したアブレヒト・デューラーの銅版画が残っている。この峠は石器時代のアイスマンの時代から利用され中世の神聖ローマ帝国皇帝たちがローマへの道として通行した。

 峠を越えるとイタリアである。建物の色が暖色になってくる。車は高速道路に戻ってパドヴァをめざす。パドバの町は高速からは見えない。パドバは古くからの大学町である。ガリレオが教授をしていた大学がある。それよりなにより大学時代、厚生年金会館で公演したシェクスピアの喜劇「じゃじゃ馬馴らし」の舞台である。喜劇は中世パドバ大学の学生ペトルキオと土地の令嬢カテリーナとの恋物語である。私はトラニオという役を演じた。その最初のせりふ:「Since for the great desire to see fair padua,nurcery of arts......」芸術のゆりかご、美しきパドバにが思い出される。1967年のゼッフィレリ監督の映画ではペトルキオをリチャード・バートン、カテリーナをエリザベス・テーラーが演じた。そして遠く向こう海の中にベニスの街がみえてきた。(続く)オーストリアaustria
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