エーゲ海ロードス島・シーン1
 船室の一角に朝の太陽の光が差し込んでいた。快適な睡眠だった。清潔なシーツと柔らかい枕から身を起こすとウッと背伸びをして光の差し込む窓の外を見やった。窓外に白い家が丘の上まで連なっている陸地が見えた。

 船はロードス島経由でイスタンブールに向かっていた。早朝ロードス島に着いていた。身繕いをして隣室のドアを叩いた。ゴジーもヒリキももう起きていた。
 
 ”ロードス島らしいな。どうする。”ゴジーが言った。
 
 ”船会社の説明では上陸してもいいし船に滞在していてもいいらしい、船が大きすぎて岸壁にはつけない、フェリーで岸壁まで行って上陸するので島に渡ると夕方まで船には戻れないと確か言っていた。”ヒリキが説明した。
 
 ”ここまで来て島を見ないでどうする。”
 
 ”島になんか見るとこあんの”千葉弁でゴジーが聞いた。
 
 ”まあ行ってみよう、船にいてもやること無いだろう”
 
 ”そうだな”と皆が納得した。
 
 食堂で朝食をとると三人は島への上陸時間に予定されていた朝9時に甲板に集まった。夕方5時に港に集合する約束で、既にフェリーが横付けされていた。寄航時に使う階段からフェリーに移動した。フェリーに乗った客はあまり多くないようだった。見飽きているのかもしれない。ガイド用のパンフレットが渡されていた。ヒリキが英語の説明文を見ながら解説してくれた。
 
 ”ロードス島はエーゲ海と中近東の沿岸地域との交差路の位置にあり、地球上の三大陸、アジア、ヨーロッパ、アフリカのミーティングポイントでもある。”
 
 ”おい、ヒリキ、ミーティングポイントも日本語に直せよ”とゴジーが冷やかした。
 
 ”ロードスとはローズから命名されたともいう。エーゲ海の薔薇という意味だ。古代ギリシャ時代の最も富んだ島であった。歴史では紀元前4000年に植民され、海上貿易で栄え入港玄関には太陽神ヘリオスの像が立っていた。が現在では鹿の像に替わっている。”
 
 ”エーゲ海の薔薇か。なるほど、見えてきたよ。”
 
 フェリーが表玄関のマダラキ港に横付けされた。真っ青な空、紺碧の海、真っ白な家々に太陽が降り注いでいる。一月末なのに全く冬を感じない。すばらしい気候と風景であった。

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 <ここで歴史を紐解いてみよう。>                                  このエーゲ海の薔薇と呼ばれる豊かですばらしい景勝の地は動乱の歴史に揉まれてきた。紀元前164年にローマの属領となり、その後330年以降ビザンティン帝国の重要拠点となる。7世紀にはアラブの手に落ち衰弱してゆく。1309年エレサレムの聖ヨハネ騎士団のものとなり、1096年から開始された十字軍以降の西方キリスト教世界の砦となった。16世紀オスマントルコが占領。教会をモスクに変えた。この時期から国際都市としてのロードスが歴史から消えてゆく。そして再度歴史に姿を現すのが、20世紀初頭からのイタリア軍の占領であった。1944年英国空軍の空襲で多くの歴史遺産が崩壊した。ギリシャ政府は1961年から文化遺産の保存に努めた。遺産の保存に貢献したのが、文化庁の長官にもなった「日曜日はだめよ」の女優メリーナ・メルクーリであった。
 
 現在日本ではロードス島は「ロードス島戦記」として、パソコンユーザー向けRPGでのほうが有名となっている。剣と魔法によって支配される架空の世界フォーセリアに存在する「呪われた島」ロードスを舞台に剣士バーンが「ロードスの騎士」として成長してゆく物語である。
 
 三人はマダラキ港から船客の後について島行脚にでかけることになった。マダラキ門をくぐると中世期のオーベルジュ(ホテルと言う意味)のあるセミ広場に出る。少しゆくとロードス島で最も美しいといわれるアルギロカストロ広場に出る。少し登るとアレグザンダー広場から騎士団通りが続いている。石造りの要塞風の家が道の両側に迫ってくる。道は聖ヨハネ騎士団の居城に突き当たる。

 この島は今でも十字軍の時代からの聖ヨハネ騎士団の陰が色濃く残っている。当時旅行中の私達には騎士団とは何なのかよく理解出来ずにいた。旅に出ても自分のもっている以上のものは得ることが出来ないと聞いたことがある。昔アメションという言葉があった。行っただけの旅をそう表現した。蓄積された経験と知識があって初めて旅は意味を持つ。
 
 それから十数年後の1980年代初頭、私は作家松本清張先生の作品取材調査に随行してフランス北西部謎の村ジゾールにいた。ジゾールは聖堂騎士団伝説の村である。ロードスが聖ヨハネ騎士団であればジゾールは聖堂騎士団の村であった。
 
 ”それでジゾールの謎と言い出したのはいつごろからですか”

 ”聖堂騎士団の謎とはなんですか”先生が丁寧に村から派遣された役人に聞いていた。分厚い眼がねと独特な唇が印象的だった。

 先生は当時生命保険の会社が宣伝用に無料で配っていた小さなノートを一杯日本から持ってきていてそれに細かい字を書きつけていた。私はフランス語の通訳をしたが、私も伝説が現実となって現れてきていることに驚いた。村の人達が700年にも亘り語りつぎ現在でもジゾール城財宝の謎とされているのがこれである。当時先生はバチカンの暗部ともいわれるアンブロシアーノ銀行についての取材も急いでいた。何らかの関連を直感されたのかも知れない。
 
 <60年代、一人の民間人ジェラール・セドがジゾールの謎「聖堂騎士団は我々の中にいる」を突然出版した。>

 ジゾール村で豚の飼育業を始めた彼は村のロジェ・ルホワという老人を雇う。彼が中世からの城ジゾール城に伝わる伝説を語りはじめる。地下80メートルの牢獄の奥に中世独特の建造物がもう一つある。それは地下の城砦である。セドは村に資金を保証して信頼をかちとると地下を掘り始める。そして地下80メートルの地下に埋まったもう一つの城址を発見する。そしてこの地下城址からのトンネルは何十キロにものびて,はるかセーヌ河岸まで続くという。舞台の主人公が聖堂騎士団という騎士たちであった。自分達の最後に騎士団はその財宝を地下に埋めたという。

これが<ジゾールの財宝の伝説>である。話は1095年のローマ教皇ウルバヌス二世の時代までさかのぼる。教皇はセルジュクトルコに占領された聖地エレサレムの奪還をフランスの騎士たちにクレモナの教会会議で呼びかける。フランス王シャルルはフランスの騎士と中心にエレサレム奪還に立ち上がる。十字軍である。結果シリア、パレスチナにエレサレム王国や十字軍王国が出来上がった。ロードスの聖ヨハネ騎士団もそのなかの一団であることは言うまでもない。                                      
 聖堂騎士団は12世紀のはじめエレサレム王国で巡礼道の治安を守るためフランスの騎士を母体に成立され、1128年には修道会となり教皇の許可を得て欧州全体からの寄付と広大な領地を有して近隣の領主への金融にまで乗り出してゆく。その強大な権力は教皇まで動かしたと言う。しかし十字軍の活動は1291年までで終了してゆく。強大化するオスマントルコの前に衰退してゆくのである。結局資金と権力を失って騎士団は次第に追い詰められてゆく。絶対権力を有する王制の前には騎士団は邪魔となった。ドイツ騎士団、聖堂騎士団、そして聖ヨハネ騎士団は伝説を抱えて滅びていった。東方世界から膨大な略奪を重ねた巨大な財宝を隠して。財宝の一部は現在ルーブル美術館などの西方の美術館を飾っている。ルーブルのサラモトケのニケーやバチカンのラオコーンはロードス島で制作されたとされている。ロードス島を領地とした聖ヨハネ騎士団に属する財宝であった。

 松本清張先生とのジゾールの謎の逸話は当時の文芸春秋の記事となった。財宝が発見された話はまだない。現在、これらの騎士団の存在は完全に歴史から姿を消したようにみえるが、騎士団の秘儀や団結の掟はフリーメイソンとして残っているし、また十字軍の御旗は赤十字のシンボルとして目にすることが出来る。2003年のイラク戦争に際して、ブッシュ大統領は米国と連携する軍を十字軍と称した。連携した日本の自衛隊も十字軍だったことになる。イスラム世界からみると十字軍は完全な侵略者でしかなかった。十字軍が悲惨に終わったことは歴史が証明している。派遣した王朝と為政者はそれが為に滅びた。歴史は正直に雄弁である。
 
 ”腹がすいたな、どっかで昼飯だ” ゴジーが言った。

 タベルナを探した。聖ヨハネ騎士団城の反対側を見るとお土産屋が並んでいた。奥に目をやると料理屋らしい店があった。店にはいって、
 
 ”ミックス、スブラキ スリー、プリーズ” と注文すると、
 
 ”アリガト、サンコスブラキ。ネ”誰が教えたのか奇妙な日本語が返ってきた。マグロ漁船の日本人の船員が教えたのかもしれないと思った。ロードスのワインとトマト、オリーブ、カジキ、マグロ、サラダ菜をオリーブ油と塩と胡椒で味付けしたスブラキは旨かった。
 
 帰りがけに聖ヨハネ騎士団城跡に立つと壁に「Fert,Fert,Fert」と文字が彫られていた。ラテン語だった。「耐えろ、耐えろ、耐えろ」栄枯盛衰のなかで天涯最後、諦めきれぬ騎士たちの怨念の言葉が聞こえてくる。

 視線を暮れなずむエーゲ海に移すと霞んではいたが対岸トルコが見える。何世紀にも亘って対岸まで18キロしかない距離にイスラム教徒とキリスト教徒が対峙して来たのだった。その時突然昨夜のカジノを思い出した。ゼロの目が出て一瞬にして多額のチップが消えた。”見てなさいよ!明日仕返ししてやるから”女が激しい目をしていた。怨念と執念の目だった。(続く)
 

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