これまでのあらすじ
<今から50年も前、青春と500ドルを握り締めて横浜を片道切符でユーラシアに放浪の旅にでた。二年の欧州滞在を経てパリからカルカッタまでの3万キロをボロVWで踏破。「荒野を目ざせ」や「深夜特急」より数年も前の記録。



 幸い白黒だが写真が残っていた。前年92歳で亡くなった母親がパスポートと一緒に箪笥にしまって置いてくれた。母が保管してくれていなければこの紀行はとても書き残すことは出来なかったろう。写真を見ると当時のことが眼前に現れてくる。母の想いは深い。
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ウスクダラ健康法

 朝空腹とコーランの音楽で目が覚めた。ドミトリーベッドの一角で朝のお祈りをしているアラブの青年がいた。お祈りは所かまわずというわけだ。彼らにとってアラーに祈ることはすべてに優先する。それも朝である。人間という人間は起きなくてはならない。疲れていたり、二日酔いなどで朝起きられないなど堕落の上にもほどがある。人間の屑である。まあそういう訳でお祈りに付き合って起きた。
 
 ゴジーもヒリキも起きていた。連れ合って朝食をとりに外にでた。一月末、早朝のイスタンブールは寒かった。着ているコートの衿をたてて近くのチャイハネに入った。三人はフランスのバゲットより少し塩気があるトルコパンと蜂蜜入りチャイを注文した。

 ある本によれば、東洋と西洋を分けているのは茶のアルファベットでのつづりだという。日本、中国では茶はcha ,インドからトルコまでchai,である。ところがギリシャからは、茶はte,the.teaとなる。CとTがアジアと欧州を分けるという説である。どうも結果文化論ではないかと思う。chaiでもteaでも茶が東洋のものであることは確かである。
 今日の予定を決めた。
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 ”昨日の話が心配だから日本領事館に行こう。”ヒリキが言った。
 
 ”役人に話したってしょうもないだろう。なにかしてくれるのか?”ゴジーが語尾を意味ありげに上げて言った。
 
 ”行方不明というのもなんだから一応アジアに車で向かったということは領事館に残しておこう”私が言った。
 
 ”分かったよ”不満そうにゴジーが従った。

 確か新市街のタキシム広場近くに領事館があったように思う。記憶に広場で食べたカバブのサンドイッチがあるからである。それ以外にタキシム広場には行った覚えはない。領事館を訪ねるとガランとしていた。入り口で目的は何かとトルコ人の受付が聞くので、

 ”これからイラン、アフガニスタン、パキスタン、インドに車で行くので届けに来た”と言うと、            
 ”じゃビザを取りに来たのか?トルコにビザは必要ない。

 ”当たり前だ、我々はもうトルコにいるんだから、と拉致があかない。 
 
 ”日本人領事館の書記官はいないのか”と尋ねた。
 
 ”いるが目的がはっきりしないと取り次げない”堂々めぐりが始まった。
 
 ”もう面倒だから帰ろう”とゴジーがしびれをきらして言った時、
 
 ”どうしましたか?” 書記官らしい日本人が通りかかって言った。
 部屋に通されて目的を言うと、
 
 ”困りましたネ、アジア方向は危険ですからね。領事館では承諾したとは言えないですよ。要するに責任取れないんです。”
 
 ”領事館は止めたんだが行ってしまったとしか言えないんです”何か不幸を予知するような言い方をした。
 
 ゴジーがそれ見たことかという顔をした。結局領事館に来た意味は無かった。日本の外務省が在留する邦人の為に尽力したなどの話はスリランカの津波災害の時以外この40年間聞いたことがない私は外務省など無用だと今でも思っている。税金の大浪費である。

 広場の近くのドネルカバブのサンドイッチを食べながら、グランバザールでも見学しようということになった。ガラタ橋をわたるとすぐにバザールの入り口が見えてきた。適当に車を駐車してバザールに入っていった。バザール内部に一歩入ると、とにかく暗い。目がなれるまでに時間がかかる。慣れた目に土むき出しの通路の左右に小さな店屋がどこまでも続いているのが見えてくる。

 屋根が掛かっていて明り取りがある。明り取りから入ってくる光と下から巻き上がるほこりとが出会ってきらきら光って見える。ほこりの光の乱舞である。
 皮革,生地、金銀、トルコ石などの宝石、骨董、絨毯、雑貨などの店が並ぶ。冷やかし半分で店屋を見て歩いた。

 フランス語には、出鱈目だが商売の極意を言う言葉として「マルシャン・ド・タピ」というのがある。もともと価額があやふやなものをいかに高く価値をつけて売るかという技術をいう。バザールはその商売技術の全てを見ることができる。絨毯屋に呼び止められた。
 
 ”そこの東洋の色男、絨毯を見てみてよ、そん所そこらの絨毯じゃないよ。知らないと思うからいうけど、世界に絨毯といや、トルコとペルシャだよ。トルコの糸はダブルノット、ペルシャはシングルだ。丈夫さが違う。平米40万ノッツの網目がある。御代は見てのお帰りよ。”

 上野のアメ横と変わらない。言葉があやふやな英語と日本語の違いがあるだけだ。絨毯が平置きされている。壁にはシルクやゴート・ウールの見事に織られた絨毯が吊り下がっている。この時は真面目に絨毯屋の説明を聞いていなかったが、後々十数年後に、絨毯に興味を持った私がトルコ絨毯を調べてみるとその店の質と価額は決して悪くなかった。むしろ騙されても買っておけば良かったと後悔するほどだ。現在ではもう本物のアンティーク絨毯は普通の値段では手が届かない。特にカサス地方のコザク、アナトリア地方のクラ、イズミール地方のミラ、イスタンブール近郊のヘレケ、ベルガマのアンティーク絨毯は博物館でないと見ることもできない。
 人のいいゴジーが宝石屋につかまっていた。トルコ石を見せられていた。
 
 ”宝石屋がトルコ石の原石が出るところを案内すると言ってるぜ。どうする?”
 
 ”我々貧乏学生だから金ないって言っても行こう行こうってしつこいだよ”
 
 ”まあそれも経験だし我々三人だから取って食うわけでもないだろう”行くことに決めて若い宝石屋を車に乗せて20分ばかりボスフォラス橋を渡ってアジアサイドに行くとトルコ石の研磨場に着いた。
 
 研磨場には四、五人が実際に石を研磨していた。どういうわけかゴジーが熱心に説明を聞いていた。
 
 ”安いらしい。目の前で研磨している以上本物だし買うことにしたよ。”あっさりとゴジーが150ドルくらいのトルコ石のついたペンダントを買っていた。誰のためか知らない。
 
 ”皆さんにお礼に秘密のトルコ式健康法を伝授しましょう”店の主人が言った。どうせたいしたものではないだろうとは思ったがせっかくだから教えてもらうことにした。
 ブロークンだが要領を得た英語で話しはじめた。
 
 ”ユーノウ・ザ・ワード コンフりクト? コンフリクト ミーンズ ストレス”
 
 ”ストレス カムズ フロム ユア デザイア(欲望)”
 
 ”イト イズ イージー ツー ノウ ユウ ハブ コンフリクト オア ノット”
 要するに葛藤を抱えた人かどうかは一目で分かると言っている。
 
 ”アイ トレエインド メニー イアズ イスラム テンプルズ””アンド ディスカバードシークレツ オブ ヘルス”
 
 ムスターファはイスラム教寺院で修行して健康法を発見した。
 
 ”シークレッツ イズ ブリージング” 秘術は呼吸法である。
 
 ”ファースト、(以降は日本語で訳して説明する。)足を肩幅に開く。膝は軽くまげる
 
 ”そして、息を吸う時足の裏の親指の付け根あたりに体重をかける。こうすると足が微妙に外に反り返る。息を吐くときは足全体に体重をかける。この時足の裏は地面にフラットになる。
 
 ”アンド ユウー アスピレート セイイング マホ ホエン インヘーリング、メッド ホエン エクスヘーリング。”吸う時 マホといい、吐くときメッドと呼吸する。
 
 ”ゼア イズ ポーズ”両手を手のひらを上にして臍の下五センチあたりにゆったりと組む。両手で楕円を組む。息を吸うタイミングで両手で作った楕円で大地のエネルギーを掬い取る。そのまま円を描いて上にもってきて顎の下まで持ってくる。今度は息を吐く。両手は顎の前で、下を向いた手の平のままもとの臍の五センチのところまでまっすぐに下ろす。
 
 ”アンド ユウ レイズ ハンズ アップ ツーヘブン” 息を吸うタイミングで真っ直ぐそのまま垂直に手をあげバンザイする。そして息を吐いて両手を左右に開いておろして行く。最後に手を最初の臍五センチに戻して瞑想する。
 
 ”ディス イズ イスラム ベストヘルス シークレツ”
 
 我々も一緒にやってみた。大地のエネルギーが丹田に満ちてくるような気がした。三人はこの方法をイスタンブールに着いた港にちなんで「ウスクダラ健康法」となずけた。健康法はインドカルカッタまで長旅の車から降りる度に実践した。1952年にブロードウェイでヒットしたのが「ニューフェイス」でヒット曲がウスクダラ ギテリケ アルドギリヤンウーというメロディーだった。江利チエミが歌って日本でもヒットした。憂いのウスクダラは雨だった。というような意味だときく。