ダシカヴィール砂漠をゆく
イラン砂漠
おいらん砂漠

 砂漠よりむしろ土漠
 
 イランの首都テヘランからカスピ海はすぐそこである。僅か直線距離では40から50キロといったところであろう。我々も黒海カスピ海は必見だと思っていた。

 黒海は既に見た。地図ではカスピ海は近い。そこで昨日の日本商社に電話して様子を聞いた。するとなんとあの5000メートル級のエルボルグ山脈の峠を越えるそうだ。すぐにやめてイラン中央砂漠(正式にはダシカヴィール砂漠)を横断することにした。
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 ガルムサール、セムナン、ダムガン、エマムルド、ザムゼバール、ネイシャブール、そしてマシャッドまでの1200キロに挑む。その前にイランという国についてもう一回整理しておこう。

 イランの正式名称はイランイスラム共和国 (ジョムフーリーイエ・イーラーン)と言う。面積は日本4.5倍。人口は6800万人。広大な砂漠を有する。砂漠と言っても乾いたあのさらさらな砂漠地帯ではない。ワジスとよばれる瓦礫と砂と土が膨大に堆積された地帯である。

 この地帯では、農業は全く出来ない。通貨はリヤール。当時の1ドルは約10000リアル(1リアルは3銭というところか)。通常に泊まるホテルが一泊一ドル。食事は田舎ではほとんど払った感覚はないほどの料金だった。我々は水とガソリンを備蓄して車に積んでいた。特にガソリンは切れたら最後命に関わった。水については豊富にスイカとメロンを積んでいた。面白いのはトイレについて困ったとかの記憶が全くないことである。どうしてなのか今もって不可思議なことの一つである。人間、生理的現象については記憶機能が深化しないのかもしれない。

 我々はこの砂漠の踏破を少し甘く見ていたのかも知れない。テヘランを昼食を済ませて出発した。なぜならテヘランからマッシェッドまでバスで18時間と聞いて、それなら十分10時間ではマッシェッドに到着すると考え、少しゆったりテヘランを出発したのです。砂漠のなかで何もなければでした。それにバスでも砂漠の中を猛スピードで飛ばして18時間でした。ガルムサール、セムナンまでは問題なしでした。セムナンからダシカヴィール砂漠に入ります。砂に覆われたような古都の街ダマガンを過ぎて約20キロ突然右後ろのタイヤがバースト。幸い怪我もなくただ右に傾いてしまった車と我々が残されていました。前も後ろも砂漠。もう暮れ始めていました。一月とはいえ昼間は25度、夜になると冷え込んで吐く息が白い。次の大きな街ダムガンまでは20キロほど。とにかく次の街までたどり着かなくてはと考えた我々は一人が運転、一人がヨットの操縦まがいに左に体重をかけてそりだす。一人は外で走りながら状態を見る。時速10キロ走行を始めた。休んでははしり走っては休みしてダマガンの街に着いたのはもう真夜中。くたくたになって水をのんですぐにパンクのままの車のなかで寝てしまった。
 
早朝目を開けると、しっかり開かれた大きな目が一杯こちらを覗き込んでいた。質素だがきらきらと輝く子供達の好奇心の目だった。東洋人が車のなかで寝ている。車はパンクしている。ドアを開けて一歩外にでると、砂漠の朝のギラギラの太陽と昨日から何も食べていないのとで体がフラッとした。

 iranirann