これまでのあらすじ
<今から50年も前、青春と500ドルを握り締めて横浜を片道切符でユーラシアに放浪の旅にでた。二年の欧州滞在を経てパリからカルカッタまでの3万キロをボロVWで踏破。「荒野を目ざせ」や「深夜特急」より数年も前の記録。



 幸い白黒だが写真が残っていた。前年92歳で亡くなった母親がパスポートと一緒に箪笥にしまって置いてくれた。母が保管してくれていなければこの紀行はとても書き残すことは出来なかったろう。写真を見ると当時のことが眼前に現れてくる。母の想いは深い。

 

昨夜のことは一体なんだったのだろう。人は現実に事件に直面して捕らえられて身ぐるみはがれてやっと事の重大さに気づくほどの鈍感さがあるから生きてゆける。 

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 危ないから行くなと言われ頭の中では解かったつもりでも出かけてゆく。危機がそこにせまっていても危機に直面して始めて危機を認識できる。それほど人間はおめでたく出来ている。死の直前といえども、意識がなくなる寸前に自分が死ぬと思うのだろう。楽観とそれを呼ぶなら楽観こそ人を生かしている。楽観こそ次の瞬間にエネルギーを蓄えることができるのだ。
 
 我々はディアレムの朝もやの中、目をさまして、次のアフガン第三の都市、カンダハールに向けて走り始めた。朝食には車中のスイカとディアレムの村で買ったナンですませた。

あふがん1
カンダハール市内風景

カンダハールの市内。アフガン第3の都、活発な商業活動が営まれていた。女性の姿は余りない。



 ディアレムの村をでると砂漠の道は次第に岩山への登りとなる。途中に崩れかけた城の跡が見られる。戦いで有名なファテ・カーンの城だという。ギリシクの村にでると道はボグナ運河を渡る。アフガンの大河ヒルマンド河が見えてくる。この河はヒンヅークシ山脈を源として旅の途中で越えてきたイランとアフガニスタンの国境近くの沼地で消滅する。全長1300キロの河である。ヒルマンド河を渡るとカンダハールの丘が見えてくる。

 カンダハールは22万5千人の人口を有するアフガン第3の都市である。カンダハールの名前はガンダーラからきているらしい。向こうに4000メートル級の山と山脈がみえる。あの山脈を越えてゆくとカブールだ。街に着いた我々はまず銀行を探した。現地通貨アフガンに替えてプリンの類や寒天の菓子を買って食べた。勿論久しぶりの熱いチャイはうまかった。
 
 明日から行く4000メートル級の山岳地帯を思ってアフガンコートを買った。羊の匂いがきつかった。このコートは帰国して何日も日に干したが強烈な匂いは消えなかった。しかし暖かさはなによりだった。