カイバール絶壁で九死一生。
 
 mapkaibaryuku

これまでのあらすじ
<今から50年も前、青春と500ドルを握り締めて横浜を片道切符でユーラシアに放浪の旅にでた。二年の欧州滞在を経てパリからカルカッタまでの3万キロをボロVWで踏破。「荒野を目ざせ」や「深夜特急」より数年も前の記録。



 幸い白黒だが写真が残っていた。前年92歳で亡くなった母親がパスポートと一緒に箪笥にしまって置いてくれた。母が保管してくれていなければこの紀行はとても書き残すことは出来なかったろう。写真を見ると当時のことが眼前に現れてくる。母の想いは深い。

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 アジアの峠といわれ、歴史上アレクザンダー大王が、ジンギスカーンが、ムガールのバブールが越えてきたカイバール峠。

 しかしカイバール峠は思ったほどの峻厳な峠ではなかった。この峠越えを困難にするのは峠の手前と越えてからにあった。というのは落差100メートルを越える屏風のような断崖を登るのと突然変わる天候にある。

 道はせまく少しでもスリップしたりすれば一巻の終わりとなる。バスで越える人達には旅行者にある運転手への軽率な身のゆだね感から寝てる間に越えてしまうこともある。だが実際に自分でこの峠を運転して超えるのはハードである。

 第一まずどのような道であるのか一切見当がつかない。

 第二に誰かから話を聞いて事前の準備がまったくない。まずなにより峠に関する知識が手元のフランスで買ったアトラスという簡単な地図以外なかったことだ。1969年の我々のカイバール峠車踏破から2年後トヨタがシルクロードを車で横断をやり、そのキャッチフレーズが大冒険キャンペーンだったことからも当時の状況を理解していただけると思う。
 
 ヒンヅークシからの強風で埃の舞うカブールをスイカとガソリンを積んで出発した。岩山の間を抜けて山道が続く。カブールでの温度は確か20度程度あったが次第に温度が下がっていた。雨が降り始めていた。アフガニスタンの降雨は春先と11月後半の時期にある。丁度冬が始まりはじめていた。

 どの程度のぼったのか雨が白いものに変わり始めていた。道路に轍ができて、その上を辿ってゆく。スピードに気をつけて進む。峠を明るいうちに越えるように十分な時間をとってカブールを早朝に出たのだが、車のスピードは時速5キロも出せない。それ以上出すとスリップする。辺りが次第に暗くなってきた。ヘッドライトをつける。ヘッドライトの照明に雪が縦線のように横切ってゆく。行き交う車はない。道路の右側に目をやると暗い虚空、左側は岩山の山肌がみえる。狭い道をゆるゆる登ってゆく。上から一台の車が下りてきた。狭い道である。ハンドルを少し右に切った。その時であった。轍にたまった雪の塊にタイヤがすべった。車は半回転して止まった。上から来た車はかろうじて我々の車をかわすと我々を見ずに降りていってしまった。彼らも必死に運転していたのだろう。
 
 半回転して止まった車からおりた。なんと車の右側のタイヤの半分が断崖にかかっていた。あと数十センチずれていたら100メートルはあるであろう真っ暗闇の断崖にまっさかさまに落下していたであろう。三人は車を素手で押して道路に戻し、そのまま無言でまだ車を押していた。
50メートルほど押したであろうか、ハーとため息を吐いた。仏教では”運否、天賦”という。運不運はすでに天により決まっているというのだ。死ぬものは死ぬ、生きるものは生きるのだ。世に天災も人災もない。人間は仏陀の手の平にのっている。

 峠にでた。やがて車はヒンヅークシの南麓を横切って何事もなかったようにペシャワールの盆地に近づいてゆく。ペシャワールはパキスタンの西端の町である。国境を越えた。