実名を出してももういいだろうと思う。世界放浪の旅後の仕事の半生を綴りながら。横浜を出て横浜に着いた1968年12月以降の事だ。休学していた大学にもどって大学紛争で荒れた余波を縫って今盛んに話題の大手広告代理店に入社した。大阪万博の年だった。1979年には初代のパリ駐在として再度フランスに戻った。戻ったが放浪の旅路に場末のビストロで口にした安ワインと紫ムール貝ほどの美味を其の後味わったことはない。パリ滞在中で二つ思い出の仕事をした。一つが日本でのバチカン展の企画、二つ目が世界女子柔道パリ大会であった。実現中心のパートナー二人(前者古戸氏、後者中上氏)ともこの世にはいない。50代で夭折した。バチカン展は大成功でヨハネパウロ2世が長崎で殉教者を見舞った。柔道パリ大会では女三四郎(山口香)が活躍し其の後の日本女子柔道の先駆けとなった。故人の努力を少しずつだが故人に許しを乞いながら語って行きたいと思う。